「自分を大切にする」を見つめ直す:ヒーリングっど・プリキュアのラストバトル感想メモ

私たちは社会に揉まれていく中で、知らぬ間に「自己犠牲」を自分にも他人にも強いていたのではないか?

そんな感じの問いをガツンと提示されたような気がしたヒープリのラストバトル。プリキュアシリーズが描いてきた「客観的に見た個人の自立」や「互いの個性を認め合うことで生まれる力」などのイメージ(個人の見解です)とは異なるアプローチで、少女たちのヒーローは、また新たな時代を切り拓いていくのだろう。

 

まず、注目したいのは、ネットでも賛否が分かれた42話にて、主人公キュアグレース/花寺のどかが宿敵ダルイゼンを「助けない」選択をしたことだ。

敵と和解したり、はたまた終盤で共闘するような展開も少なくない本シリーズだが、今回の敵であるビョーゲンズはのどか達人間と動植物の生存を脅かす完全な悪だ。このことはは、彼らが「病原」の名を関している通り、現実世界で我々人間にとって病原菌は排除すべきものであることから明白であろう。

人間の都合で見捨てることは残酷かもしれないが、例えば、いじめの現場を想定すると個人的には納得がいく。自分がいじめを受けていて、いじめの実行者が自分の都合が悪くなったから助けてくれと言われた時に無条件で助けることはそうないだろう。まずは自分の行った罪を認識して心を改めて償いをする、つまり「浄化」という手順を踏むことが筋ではないか。

この物語は敵を「倒す」のではなく「浄化する」ということを一貫して貫いていることが、そもそも敵を助けると言うことは決してないのだと言うことを暗に示しているともとれるだろう。

 

そして戦いのクライマックス、44話。

「生きることはたたかいだ」というセリフ。主人公がラスボスの主張を否定しないという展開も相まって、非常に印象に残るものとなったが、キングビョーゲンとのどかでは、「たたかい」の解釈が異なるのではないかと思う。

キングビョーゲンのはきっと「生きることは戦いだ」ということなのだと思う。「戦い」は勝ち負けや優劣を争うものであり、生存競争という戦争でいかに他を負かすか、優位な存在になるかということに重きを置いている。まるで某スプラ何某の領土争いのように赤黒い色で大地を塗り替えていくことが彼らの目的であり生きるための手段だ。

対して、のどかは「生きることは闘いだ」と言っているのだろう。「闘い」とは困難に打ち勝とうとすること、「自分との闘い」等で使用される漢字だ。このことを、のどかはキングビョーゲンに対して闘い続ける理由として「負けないために」と主張することで明示している。

 

自分を大切にするために、自分らしくあるために、とにかく自分自身のために人は戦い続けなくてはいけない。しかしながらこの思考は時に、利己的だとか傲慢だとかいう理由で否定されることもある。だから、「自分のために、自分を大切にする」というようなことは簡単には言い出せないし、人のために自分を犠牲にすることに価値を見出しがちになっている。

けれども、自分自身を救うことができなければ、他人を救うことなどできないのだ。

コロナ禍の今、他人を思いやることも大切だけれど、まずは自分の心身の健康を守らないと意味がない。昨日夜に起きた東北から関東にかけての大きな地震、まずは身の安全を守れなければ、簡単に明日は無くなってしまうのだと再認識させられた。

 

多様性を認めよう、理解していこうという今、このことはもちろん喜ばしいことであるのは間違いないが、そんな社会の中で忘れがちな、自分のために懸命に人生を生きていく、という根源的なものを思い出させてくれた、ヒープリはこんなご時世だからこそ一層突き刺さるメッセージを提示してくれた素晴らしい作品だと思いました。

来週の最終話も楽しみです。